日本のマスメディアを成長させたのは、長嶋茂雄氏への巨大な推し活だった(かもしれない)

長嶋茂雄さんがマスメディアに与えた影響を論考します
境 治 2025.06.05
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V9時代より長嶋監督時代のほうが視聴率が高い

長嶋茂雄さんが亡くなった。生前のご活躍を偲びお悔やみしたい。

さて、テレビは朝から晩まで長嶋さんのことを振り返っている。それはもう、どの局もそれだけお世話になったお礼でもあるのだろう。

筆者は1992年にコピーライターとして日本テレビの巨人戦広告を制作した。というのも、高視聴率を誇った巨人戦中継が、91年に平均で20%を切ったのだ。90年には20.6%だったのが17.3%に大きく落ち込んでいた。

日本テレビでは箱根駅伝を成功させた敏腕プロデューサーが巨人戦を担当することになり、筆者は所属していた会社のチームで企画を立ててプレゼンしに行った。

その際に過去のことをいろいろ調べて驚いたことがある。V9時代(川上監督のもと、王・長嶋を中心にした精鋭チームが65年から73年までの9年間、日本一に輝いたこと)より、その後のほうが視聴率が高かったのだ。

74年に長嶋さんが引退し、翌年から監督に就いた。V9時代より長嶋監督時代の方が視聴率が高い。でも長嶋監督になってから75年は最下位だった。76年、77年はリーグ優勝したものの日本一は逃し、以降は低迷する。80年のシーズン途中で事実上監督を解任された。

80年代は視聴率が乱高下しながらも高い水準ではあった。それが91年にストンと20%を切ったのだ。

92年当時、このデータを見て思った。巨人ファンは勝つ試合しか見ないから弱いと視聴率は下がると言われたがちょっと違うんじゃないか。だってV9時代より長嶋さんが監督になってからの方が視聴率が上がっている。巨人戦を見るのは長嶋さんが見たいから。そこに尽きるんじゃないか。

92年の視聴率は上がったが19.3%と20%には届かなかった。それでも成功と言われたが、93年に長嶋さんが監督に復帰するとまた視聴率は21.5%に上がった。

翌年94年の長嶋巨人は夏にはもうダメかと思われたがその後、「死闘」と言っていい試合を繰り広げ、10月8日の中日との決戦に勝利した。この日は筆者も名古屋まで行って勝利を見届けた。

長嶋さんの追悼番組の中でこの日について「10.8」として何度も出てくるのは感慨深い。

新聞部数も長嶋さんが伸ばした可能性

テレビと長嶋さんの関係は視聴率に見えるが、新聞はどうだろう。新聞の発行部数のデータを探しても、日本新聞協会には2000年以降しか載っていない。どこかにないかと探し回ったら、不破雷蔵氏のGarbage Newsにあった。

新聞協会のデータに別の統計データを組み合わせて1942年から2024年までの新聞発行部数のグラフを作っている。

↑ 新聞発行部数(種類別、万部)(積み上げグラフ)出典:<a href="https://garbagenews.net/archives/1885417.html" target="_blank">GarbageNews2025年1月4日記事より</a>

↑ 新聞発行部数(種類別、万部)(積み上げグラフ)出典:GarbageNews2025年1月4日記事より

グラフの中の前半部分をクローズアップしてみる。

GarbageNewsのグラフを部分拡大

GarbageNewsのグラフを部分拡大

長嶋さんの巨人入団は58年だ。それまで足踏みしていた部数がぐんと急増しているように見えないだろうか。さらに現役引退の翌年、75年からまた部数の伸びに弾みがついているように思える。

さらに逸話として残っているのだが、長嶋さんが監督を解任された1980年には読売新聞の部数が40万部減少したと言われている。

ただ、新聞発行部数と長嶋さんの関係は、「そんな気がする」レベルで「証明」にはなっていない。このグラフは新聞全体の数字なので、読売新聞だけの発行部数の推移がわかればもう少し相関性が見える可能性はある。

読売グループの戦略をはみ出した長嶋さんの魅力

日本人は野球が好きになった。これはマスメディア、とりわけ読売新聞と日本テレビの戦略が成功したからであり、その真ん中には巨人があった。

佐野眞一氏の大著「巨怪伝」を読むと、読売新聞を日本のトップに押し上げた正力松太郎の戦略が書かれている。その核が野球だった。

新聞を広げるためにメジャーリーグから選抜軍を招き、対抗できる日本の精鋭野球選手たちと対戦させた。このチームが母体となり巨人軍ができた。だから巨人だけ「軍」をつけて呼ばれる。

新聞拡販のために生まれた巨人軍を中心に、野球界ができた。だが正力氏の戦略には長嶋さんがここまでの国民的スターになるのは織り込まれてなかっただろう。正力戦略を逸脱した魅力を持つ長嶋さんが、新聞の部数を押し上げる原動力となり、テレビの視聴率を高めるエンジンになった。

令和の時代のメディア消費は「推し活」が担っていると言われる。母と娘が共通のアイドルを応援して、テレビ放送も配信も視聴する。

だが実は、昭和のメディア消費も長嶋さんへの推し活が中心になっていたのだ。長嶋さんを応援するために新聞を読みテレビを見る。そんなメインストリームに対抗すべく阪神ファンや広島ファンなどがまたメディアを消費する。それらも掛布や岡田などの推し活だったと言える。長嶋さんを中心とした様々な推し活がテレビと新聞をマスと呼べるメディアに育てた。

もちろん、これは仮説で上に示したグラフで証明できたわけではない。別に証明しなくたっていい。言われてみるとそうかもしれない。そう思ってもらえれば十分。データを使った遊びで長嶋さんの偉大さを感じることができた、という話。

今だから言えるお蔵入り新聞広告

最後にちょっとした裏話を。

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