私たちが体験してきた映画は、年を取ったのかもしれない

3つのコンテンツを繋いで考察した内容です
境 治 2026.06.11
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劇場で配布されたミニポスターより

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スピルバーグの威光が興行に結びつかない?

スティーヴン・スピルバーグ監督の新作『ディスクロージャーデイ』が、6月12日に米国で公開される。しかし日本での公開は元々1ヶ月遅れの7月予定だったが、10月に延期された。

ユニバーサル・ピクチャーズ公式
@universal_eiga
映画『ディスクロージャー・デイ』

公開日変更のお知らせ



2026年7月10日(金)より公開を予定しておりました本作は、公開日を2026年10月1日(木)に変更することを決定いたしました。



作品を楽しみにされていたお客様にはご迷惑をおかけいたしますが、公開まで今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
2026/05/29 08:00
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理由ははっきりしないが、日本の7月興行は「トイストーリーズ5」と「キングダム 魂の決戦」に挟まれ厳しい戦いになるのを避けたのではとの見方が有力だ。松谷創一郎氏もこう書いている。

おそらくその通りなのだろう。世界の映画興行を引っ張ってきたスティーブン・スピルバーグ監督による久々のSF大作でも、そんな懸念を持たざるを得ないのかと驚く。日本でのハリウッド映画の興行が簡単ではなくなっている証だろう。
それ以上に気になるのは、米国でも公開直前の段階で映画の認知度が低空飛行を続けていることだ。業界誌Puckが、若い映画ファン層がスピルバーグを「業界の礎を作った人物として普遍的に尊敬しているが、親の世代の監督というイメージを持っている」と報じた。
「スピルバーグ」という名前は、もはや映画を売る保証にならない。
これは単なる一本の映画の興行上の問題ではない。そのことを日本の映画市場のデータが、より鮮明に示している。

洋画の座をアニメが奪った

下のグラフを見ていただきたい。日本映画製作者連盟の統計をもとに作成した、2000年以降の日本映画市場における洋画の推移だ。

2000年代前半、洋画は日本の映画市場の約65%を占めていた。10億円以上を稼ぐ洋画は毎年30本前後あった。それが2024年には、市場シェアが約25%に低下し、10億円超の洋画はわずか10本になった。金額にして、2000年代の半分以下だ。
しかし「邦画が強くなった」という話ではない。より正確に言えば、洋画の座をアニメが奪ったのだ。2001年に10億円を超えた邦画アニメは7本だった。それが2024年には14本になり、洋画10億超の本数を上回った。
2025年の興行成績を見れば、この傾向はさらに鮮明だ。1位の「劇場版『鬼滅の刃』無限城編」が391億円、3位の「名探偵コナン」が147億円、4位の「劇場版チェンソーマン」が104億円。邦画実写「国宝」が195億円という稀有なヒットを記録したことはエポックメイキングだったが、トップ4のうち3本がアニメだった。
この地殻変動は2006年前後に始まっている。その年、洋画の市場シェアが初めて50%を割り込み、以来一度も回復していない。コロナ禍の2020〜2021年に壊滅的な打撃(シェア20%台)を受けた後、洋画は戻ってきていない。
スピルバーグの新作の日本公開が後ろ倒しになるのは、こういう市場の地盤沈下を背景にしている。洋画市場が縮小し続ける日本で確実にヒットする保証はどこにもない。
米国でさえ若者からは「親の世代の監督」と受け止められている。それは「ザ・ボローズ」を親の世代である私が楽しんだことと重なる。

「ザ・ボローズ」——老人たちが冒険する少年少女物語

Netflixシリーズ「ザ・ボローズ」は面白かった。素直にそう言える。
老人施設に暮らす老人たちが、地下に潜む謎の存在に立ち向かう。その設定と展開の文法は、かつての「グーニーズ」そのものだ。ジュブナイル(=子供たちが冒険する物語)の主人公が、老人に置き換わっている。

Netflixシリーズ『ザ・ボローズ』独占配信中

Netflixシリーズ『ザ・ボローズ』独占配信中

Netflixはこれを意図してやっているのだろう。
かつてジュブナイル映画の黄金時代を体験した世代、つまり70年代後半から80年代に映画少年・少女だった人たち、そして私のようにそれを「受け入れた」世代が、いま50代から70代になっている。その世代がNetflixの主要な視聴者層の一角を占めている。
Netflixはその消費者の加齢を見越して、ジュブナイルの文法を「懐かしむ形」に作り直した。老人施設を舞台にしたのは偶然ではない。「あなたたちが若い頃に興奮したあの感覚を、あなたたちの今の姿に重ねて届けます」というメッセージだ。
それは巧みな戦略だ。と同時に、考えれば奇妙なことでもある。ジュブナイルの文法が「老人向け」に翻訳されているという事実は、そのジャンル自体が「現役」から「遺産」になりつつあることを意味しているのではないか。

「マンダロリアン&グローグー」——フランチャイズという延命装置

「マンダロリアン&グローグー」は、スターウォーズの世界を舞台にした新たな英雄譚だ。よくできている。楽しめた。
しかし、これはスターウォーズではない。
スターウォーズという「神話」の力を借りながら、その神話の外縁で新しい物語を紡ごうとしている。それはフランチャイズとしての賢明な戦略であるが、同時にオリジナルが持っていた「驚き」の希薄化でもある。
同じ道をマーベルが先に歩んだ。MCUは世界を席巻したが、フェーズが進むにつれ興行収入は目に見えて落ちていった。「アベンジャーズ」の衝撃を何度も再現することはできない。フランチャイズの永続化は、神話の消費だ。
スターウォーズも同じ構造に入り込んでいる。「マンダロリアン&グローグー」は面白い延命作品だ。しかし1977年に「スターウォーズ」を初めて見た人たちが感じたあの衝撃を、もう一度生み出すことはできない。それはそういう種類の作品ではない。

この「革命」はどこから来たのか

スピルバーグとルーカスが1977年にやったことは、本当に革命だった。その年、「スターウォーズ」と「未知との遭遇」が相次いで公開された。そして2作とも日本では一年遅れて78年に公開された。

70年代のハリウッドは当時、「ゴッドファーザー」「タクシードライバー」「チャイナタウン」に代表される社会派・アート路線の全盛期にあった。いわゆるアメリカンニューシネマの時代だ。
そこにルーカスとスピルバーグが持ち込んだのは、神話的な物語構造、子供の感受性、そして当時最先端のSFXの組み合わせだった。社会の暗部を描くのではなく、純粋な冒険と驚きと感動を届ける映画。それはある意味で「子供への回帰」であり、同時に映画が持つ娯楽の根源への回帰でもあった。
私が当初それを「子供っぽい」と感じて躊躇した。「E.T.」の盛り上がりを斜めで見て、「グーニーズ」も「グレムリン」も映画館に見に行かなかった。
当時、肥大した自意識を抱えた若者だった私には当然だったかもしれない。映画が社会的メッセージを捨てた、ある種の「退行」を伴う革命だったのだから。
しかしその革命は成功し、以来ほぼ半世紀にわたって、ハリウッド映画の主流はこの文法で動いてきた。冒険、家族愛、善と悪の戦い、最新技術による驚き——これが「映画とはこういうものだ」という世界共通の定義になった。
その定義が、いま揺らいでいる。

転換点の先に——次の革命はどこから来るか

では、次は何か。
「古き良きハリウッドへの回帰」ではもはやないだろう。アメリカンニューシネマの社会派に戻れという話でもない。時代は変わった。

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