日本にユニバーサルアクセス権は必要か(前編)

ユニバーサルアクセス権の議論が急に浮上しています
境 治 2026.03.23
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WBCが突きつけた「大谷が見られない問題」

WBC2026がNetflixの独占配信になった。侍ジャパンが準々決勝で敗れ去った後も、沸々と論争が続いている。無料で見られるようにすべき!いや、500円払えばいいだけ!地上波で誰でもテレビで見られるようにすべきとの不満と、配信の時代であり何の問題もないとの意見のぶつかり合いだ。
この議論に決着はつきそうにないが、急に浮上したのがユニバーサルアクセス権(以下、UA権)だ。社会的に重要なスポーツイベントについて、広く国民が無料で視聴できる環境を制度的に確保する制度だ。
私自身はスポーツ観戦にさほど興味がなく、WBCもNetflix独占配信によって起きるメディア状況の方ばかり追っていた。UA権と言われても正直、どっちでもいい気がする。
ただ、30日の勉強会にも備えていろいろと調べるとメディア制度の国ごとの違いが面白い。ここに記事の形でまとめておきたい。長くなったので前後編に分けている。
日本のUA権を考える上で、興味深いのは韓国との対比だ。韓国でもCJ ENM傘下のTVINGがWBCの国内独占配信権を持っている。ところが韓国では地上波3局(KBS・MBC・SBS)が同時に生放送を行い、国民は無料で観戦できた。韓国戦だけでなく、日本対台湾戦まで地上波2局が放送している。視聴者はTVINGの配信と地上波中継を含め最大4種類の中継から選べるという充実ぶりだ。同じ「独占配信権」でありながら、視聴者から見た結果がまったく異なるのである。この差を生んだのが、まさにUA権だ。
ではこの制度はどのように成立し、なぜ機能しているのか。日本にも必要なものなのか。まず各国の制度を整理したい。

欧州〜90年代「市場の暴走」へのブレーキ

UA権の起点は1997年のEU指令改正にある。90年代のヨーロッパでは、衛星放送やケーブルテレビが急成長し、それまで無料テレビが担っていたスポーツ中継が有料プラットフォームに次々と移行していた。象徴的だったのがサッカーだ。92年にプレミアリーグが創設されると、マードック率いるBスカイBが巨額で放映権を独占し、代表戦や国際大会が「お金を払わなければ見られないもの」に変わりつつあった。
問題は娯楽の喪失にとどまらなかった。ワールドカップや欧州選手権は国民が同時に体験する数少ない共有体験であり、その有料化は社会の分断を生みかねないという懸念が広がった。EU内で放送市場の自由化が進むほど公共性が失われるという逆説が起きたのだ。
こうした背景から、EUは「スポーツは単なる商品ではなく公共財である」という判断を下し、各国が「社会的に重要なイベント」をリスト化して無料視聴を確保する仕組みを導入した。イギリスの放送法での対象はオリンピック以外に、FIFAワールドカップ決勝トーナメント、欧州サッカー選手権などサッカーの国際試合と、ウィンブルドン決勝、そしてラグビーワールドカップだ。「何でも無料で見せろ」という話ではまったくない。ここは誤解されやすいが重要なポイントだろう。
注目すべきは、イギリスが2024年にメディア法を改正し、2026年から配信事業者による独占配信も規制対象に加えたことだ。NetflixやAmazon Primeが特別指定イベントを独占配信することもできなくなる。放送だけでなく配信にも網をかけた点で、制度が時代に追いついた形だ。

韓国〜制度と民間プラットフォームの両輪

韓国では2000年の放送法改正で重要イベントの概念が導入され、2007年にUA権に当たる「普遍的視聴権」制度が整備された。オリンピックやFIFAワールドカップは全世帯の90%以上、WBCのような大会は75%以上の視聴確保が義務付けられている。カテゴリー分けされた精緻な制度設計だ。
しかし法律だけでは機能しない。今回韓国が地上波放送を実現できた最大の要因は、TVINGが国内プラットフォームとしてNetflixに対抗できるだけの実力を持っていたことにある。TVINGはKBOプロ野球の独占配信権を2031年まで押さえ、スポーツ中継のノウハウと交渉力を蓄積してきた。その上でWBCの配信権を獲得し、放送法の枠組みに従って地上波3社にサブライセンスを供与したのである。
ここが肝心なところだ。制度と民間の実力、その両方が揃って初めて成立した構図なのだ。法律だけあっても権利を取れる主体がいなければ意味がない。
翻って日本を見ると、民放各局のOTTはFOD、TVer、Hulu、TELASAなどに分散し、NPBの放映権は球団ごとの個別管理のまま。仮にUA権を導入したとしても、Netflixの150億円に対抗して権利を取りにいける国内プラットフォームが存在しない。法律の有無以前に、産業構造そのものが違うのである。

インド〜格差是正のインフラとして

インドでは2007年に「スポーツ放送信号共有法」が制定された。民間放送が獲得したスポーツ中継の信号を国営放送にも提供することを義務付ける制度だ。背景にはクリケットという圧倒的な国民的スポーツの有料化が進み、貧困層を中心に「見られない人々」が大量に発生したことがある。インドにおいてスポーツの有料化は社会的不平等の問題と直結した。格差是正と社会統合のための制度という色彩が強い。

UA権のモデルは一つだけではない

ここまで整理すると見えてくることがある。UA権は一つの型にはまった制度ではない。欧州は市場対策として、韓国はナショナリズムと産業戦略の融合として、インドは格差是正のインフラとして、それぞれ自国の課題に応じて設計された「公共性の装置」だ。共通しているのは、その国固有の問題に対する固有の解決策であるという点だろう。
では日本はどうか。なぜこれまで制度がなくても問題にならなかったのか。そしていま、WBCのNetflix独占を目の当たりにして、制度化は本当に正しい処方箋なのか。
後編では、日本の業界構造に即して検討する。

30日に「NetflixのWBC独占配信は日本に何をもたらした?」と題した勉強会を開催

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