映画「宝島」コザ暴動までは見る価値あり!ただしラストはシオシオ

映画「宝島」を批判しつつ推奨する記事です
境 治 2025.09.22
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映画「宝島」公式サイトより

映画「宝島」公式サイトより

絶賛!酷評!賛否両論のどちらもわかる!

映画「宝島」は公開前から「国宝」と比べられながら話題になっていた。何しろ、3時間近い「国宝」よりさらに長い191分!そして10億円はかかったらしい「国宝」より高い製作費25億円!などなど。だから期待もされたし、「国宝」と比べて出来はどうかを注目された。

私は公開週の日曜日に予約を入れていたが、それまでにネットで評価を探ると真っ二つだった。素晴らしい、沖縄の戦後史を知らなかった、熱い映画だと絶賛する声がありつつ、主に映画好きな人びとと思われる、酷評!残念とか、今一歩ではなく酷評が多いのだ。方言が聞き取れないとの声も見かけた。

私が見ての評価は、なるほど、絶賛も酷評もどちらも理解できる、というもの。予算をかけただけのものになっているし、作り手と役者さんたちの熱い思いも感じられる。ただし物語の肝心の部分がお粗末といえばお粗末と思った。締めくくれてない、というか、この壮大な物語の結末がそんなに足早でいいの?という感じ。

ただ、欠点を超えた壮絶さ、戦後の沖縄が日本に返還されるまでにこんなに酷いことがあったのかと知ったことと、抑え込んできた怒りが爆発するコザ暴動のカタルシスは十分胸に来るので、そういう意味では見応えのある映画だった。酷評されてしまう大きな欠陥がある前提で見れば、楽しめるし知っておくべき要素もあると思う。何がよくて何が足りないかを知る上でもぜひみなさん見て欲しい映画だ。

やまとんちゅが謝罪し共感すべき沖縄戦後史

沖縄方言で「うちなんちゅ」は沖縄人、「やまとんちゅ」は大和人、つまり日本内地人のこと。この映画はうちなんちゅの視点で沖縄の戦後、日本返還(1972年)までにどんな目に遭ってきたかを描きやまとんちゅに伝える物語だ。そもそも太平洋戦争末期、沖縄は日本で唯一米軍に上陸され攻撃された地だ。

映画では描かれないが、元々沖縄は琉球王国として日本とは長らく別の国だったのに、江戸時代に薩摩に属国扱いされ、明治維新で強引に日本の一部にさせられた。

太平洋戦争でも日本軍が徹底抗戦を続けたためにうちなんちゅが大勢死んだ。やまとんちゅも空襲されたけど、うちなんちゅは戦車や歩兵に陸戦で攻め立てられ、火炎放射器で焼かれた。もっとひどいのは、日本軍の命令で大量に自決させられたこと。

太平洋戦争後は米国の統治下となった。ずっと占領されてたわけさあ。アメリカのルールですべてが進み、米兵が悪いことをしても沖縄の警察は逮捕して調べることが出来ない。米軍のMPがやってきて米軍によって裁かれる。日本の女性を強姦したり殺したりしてもおとがめなしさあ。「宝島」では主人公・刑事グスクの目線でそのあたりがこってり描かれる。

劇中に出てくる、戦闘機の小学校への墜落。こんなに悲惨なこともない。だがこれについても、誰も何の責任もとっていない。実際に起こった出来事だ。「宝島」ではそんな酷い沖縄戦後史が次々に、史実に基づいて描かれる。1972年に日本返還されると発表されても、うちなんちゅの反応は微妙だ。今までよりマシになるのか?

そんな沖縄史のクライマックスがコザ暴動だ。聞いたことはあったが、この流れで見ると、暴動を起こす側に共感してしまう。グスクが暴動におののきながらもやがて笑いはじめる、その気持ちに観客もシンクロしただろう。米軍のクルマをひっくり返す暴力に、ざまあみろと思ってしまう。

この映画は、コザ暴動を描きたかったのだと思う。作り手も役者たちも沖縄出身ではないが、うちなんちゅの恨みが爆発するコザ暴動をうちなんちゅ視点で描くことで、やまとんちゅとして沖縄にごめんなさいの気持ちと、沖縄に共感する気持ちをスクリーンに具現化させたかったのではないか。「たぎれ」とコピーにあったが、この映画から発せられる「熱さ」がそこにある。見た人はうちなんちゅもやまとんちゅも関係なくなり、一緒になって火炎瓶を投げ米軍のジープをひっくり返すのだ。「宝島」がやりたかったことがそこにあるなら、十分以上に成功している。賛否両論と書いたが賛同のほうが多く見られるのは、作り手たちのそんなもくろみが観客に届いたからだと思う。

特に今は、ウクライナやガザで起こっていることとシンクロして傷ましい気持ちが高まる。

物語の収束が、あっさりしているもどかしさ

ところがそれほど盛り上がった物語が、コザ暴動に続く展開でなんだかもどかしく終わってしまった。そこにがっかりした人が賛否の否を唱えているのだろう。私もそこは、かなり残念に感じた。映画「宝島」はこんな構造だ。

導入部でオンちゃん率いる「戦果アギヤー」(見ながら聞き取れず、何を言ってるのかと思った)が米軍基地から物品を収奪する爽快さが描かれるが、ある時米軍に追われてオンちゃんが失踪する。そして始まる物語の核は、オンちゃんの親友グスク、恋人ヤマコ、弟レイの3人が、オンちゃんを探しながら成長していく物語だ。その過程で沖縄戦後史が描かれる。その流れがコザ暴動に向かっていく。

この核のパートは先述の通り面白く、たぎる。うちなんちゅの過去を知り、うちなんちゅと共感し高揚する。

ところが・・・(ここからネタバレするので未見の方は絶対に読まないでね)

未見の方はこの予告編をどうぞ

未見の方はこの予告編をどうぞ

ところが何となく気になる存在ではあったウタが突如、最重要キャラになり、彼のために海岸に行くことになる。このあたり、なんであの海岸に行ったかは、ウタの望みだったようだがセリフが聞き取れずよくわからなかった。

海岸で白骨を見つける。オンちゃんのものだとわかる、らしいのだが観客にはなぜ彼らがわかったのかもいまひとつわからない。

ついでに言うと、グスクが病院でオンちゃんの首飾り(?)を受け取った時も「これオンちゃんのだ!」と観客には感じられない。伏線がないから。

同じように、海岸で白骨を見つけても観客は「オンちゃんの骨だ!」とはわからない。グスクたちのセリフでわかる。

そこから、ウタが赤ん坊の時にオンちゃんに助けられ、離島で育ったとわかる。わかったのは映像で描かれるからだが、それは瀕死のウタによって語られたことを映像にしたの?死にかけて何いってるかわからない人がしゃべって、あんなに鮮明に伝わったの?

そしてオンちゃん失踪の真相がそうだったとわかった時、そのこととそこまで描かれた沖縄の悲しい戦後史との関連がいまひとつ繋がらない。「えーっと、そうだったんですねー」という感じで、「なんと!そうだったのかー!」とならないわけさあ。などと戸惑っているうちにオンちゃんの葬式で物語が終わる。うーん。きっと原作を読んだら何か違うのだろうなと想像はするんだけど、さっきのチャートの青い部分と赤い部分が絡み合わずに終わってしまったんですよ。そこはね、なんくるないさあ、とはならないよね。

これなら、オンちゃんの部分をなしにして、3人の若者たちを通して沖縄戦後史を描く映画でよかったんじゃないの?ってことになる。でも違うはずだよね。

原作を脚本化し、劇場映画として中身をまとめる際に、何か削っちゃったんだろうね。それは実は「国宝」にもあった。でも、あっちが大事なものをうまく残しているのに対し、「宝島」では何か大事なものを削っちゃったんじゃないか。

そういうもったいなさが読後感として残ってしまった。残念だなあ。

でも口コミでは賛否の賛が多いので、ここから伸びて欲しいとも思う。ここで批判しちゃった部分も含めて、皆さんがどう思うか知りたいさあ。

宣伝と広報のいいところ、足りないところ

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