ダウンタウンも講談社もドコモも、テレビはいらなくなった〜じわじわ加速する、放送の終焉
「ダウンタウンプラス」は、松本人志をテレビ局にした
今年はメディアの変化を語る上で、歴史的転換点となるだろう。放送がいつか終わり、配信に取って代わられることは誰も否定しないだろう。だが放送100年の2025年、その変化は想像していたよりずっと早くやって来るとわかってきた。予兆的な出来事が次々に巻き起こっているからだ。
1月にフジテレビ騒動が起きた時には気づかなかったが、8月にNetflixのWBC独占配信が発表された時、放送は終焉にはっきり向かっているのだと痛感させられた。そして11月1日、「ダウンタウンプラス」がスタートして、いよいよ放送の終焉を予感した。もう放送はいいから、配信で間に合うから、放送はあれこれ面倒が多すぎるから。そうなってしまった。
「ダウンタウンプラス」はてっきり、漫才コンビ・ダウンタウンの配信チャンネルだと私は思っていた。松本人志と浜田雅功が2人で漫才を喋り倒すものだと。
ところが違っていた。始まったのは、松本人志を中心にしたテレビ局だった。松本が立てた企画に様々な芸人たちが出演して番組にしている。それを次々に展開する。これはこれまで、テレビ局が松本人志にやってもらっていたことだ。テレビ局が関与しなくても配信でおなじことできるで。たんなる漫才コンビのチャンネルではなく、大きなプラットフォームだった。
そうか、テレビ局いらなかったか。わかっていたはずが、実際に形にされると、そうかあ、こういうことかと実感できた。
テレビ局の役割を松本人志が担う。それが「ダウンタウンプラス」だった。
放送は少しずつ配信に置き換わっていく
「ダウンタウンプラス」がプラットフォームである意味はどういうことだろう。それはつまり、ダウンタウンが、2人にリスペクトを寄せる芸人たちとこれまでやっていたことを、テレビ放送ではなく配信で人々に届ける、ということだ。
「ダウンタウンEX」も、「水曜日のダウンタウン」も、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」も、番組名は別として「ダウンタウンプラス」で配信される、ようなものだ。あるいはフジテレビで大悟との関係で放送が終了した「酒のツマミになる話」だって配信できる。名前を変え企画をちょっと変えればいい。このタイミングで終了したのは運命的でさえある。
ダウンタウンが関与していた番組はどれもこれも、これから配信に置き換わるのだ。
それは大袈裟に言えば、テレビ放送の中の「お笑い」の何分の1かが配信に置き換わることを意味する。何しろ真相不明の不祥事が起きるまで、ダウンタウンは毎日のようにテレビに登場していた。実際にテレビの何分の1かは、ダウンタウンが占めていた。それらがいま、「ダウンタウンプラス」という配信プラットフォームに置き換わった。
テレビ放送は、こんなふうに少しずつ配信に置き換わる。「ダウンタウンプラス」はそれを示してくれた。気がつくと様々な番組がいま、配信に置き換わっている。
ドラマは、TVerやNetflix、U-NEXTなどの配信で見るのが当たり前だという若い層が出現している。彼ら彼女らは放送で見ることはない。配信で気に入ったドラマを放送で見るようになる人もいるが多くはない。ほとんどの若いドラマ好きは、配信が見る場所だ。
WBCに限らず、スポーツも配信で見ることが増えている。DAZNと契約すれば、世界中のありとあらゆるスポーツが家にいながらにして視聴できる。そして近い将来、VRゴーグルをつけてスタジアムにいるような感覚でスポーツを楽しむことができるだろう。それは、配信だから可能になる。
WBCのような国民的イベントは無料の放送で見せるべきだとスポーツメディアは騒ぐが、それに賛同するのは残念ながら高齢者だけだろう。若者たちは自分たちにとっておなじみのNetflixで見られるなら、家のテレビでもスマホでも楽しめると受け止めるのではないか。放送こそが最良の伝送路だった時代は終わりかけているのだ。
出版社が放送局を介さず原作を映像化する時代
そしてダメ押しのように飛び込んできたのは、組む相手は「放送局」でなくてもいい、と立て続けにメッセージするようなニュースの数々だ。
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