パーソナライズしてほしいけど、パーソナライズしてほしくない〜メディアに対する矛盾した欲求〜

総務省の有識者会議を傍聴して感じたことを書いています
境 治 2025.07.10
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総務省有識者会議の資料で見つけた面白い矛盾

昨日(7月9日)、総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」という長い名前の有識者会議を傍聴して思うところがあったので書き留めておきたい。

この会議の説明は長くなるのではしょるが、要するにこれからのテレビはどうあればいいか、という遠大なテーマを議論する場だ。

昨日は後半で調査結果がレポートされた。野村総研の発表の中でCTV(Connected TV、ネット接続されたテレビ)における生活者の意識調査が開示された。「これからのテレビ」はCTVになることを前提にした調査だ。

↑上のページの「配布資料>野村総合研究所資料」のP53以降(なんて長い資料!)を見てもらいたい。

いろいろ飛ばしてP62。【パーソナライズされず、バランスよくコンテンツが表⽰される】を希望する人14%、どちらかというと希望する48%、合わせて62%の人がこの意向があると分かった。理由としては「様々なコンテンツをバランスよく視聴して、幅広い情報や考えに触れたいため(70%)」、「自分が検索・視聴した履歴に基づき勝手にリコメンドされるのは気分が悪いため(36%)」。共感できる回答だ。

ところが次の質問【⾃分の視聴履歴や検索履歴に基づきコンテンツがリコメンドされ、パーソナライズされる】については希望する12%、どちらかというと希望する44%、合わせて56%が意向を持っていた。理由は「自分の趣味関心があるコンテンツのみ視聴したいため(72%)」。

をいをい。これ、同じ調査対象(日本国内在住者16〜65歳、2400人)なのにまったく相反する回答をしているじゃないか。「バランス派」が62%、「パーソナライズ派」が56%、足すと118%だ。少なくとも18%は重複した回答をしたことになる。

勝手な推測だが、18%と言わず同じ人がこの矛盾した回答をしたのではないか。だって誰だって思うでしょ。バランスよくコンテンツと接触したいけど、パーソナライズもして欲しい。矛盾してるけど、矛盾してないのだ。なにしろ人間は矛盾を内包して生活している。

このレポートで残念なのは、P69のまとめで「6割がパーソナライズされず、バランスよくコンテンツが表⽰されることを求めていた」のほうを強調していたことだ。総務省の会議であり、放送コンテンツをCTV上でどうすれば国民の利益になるかを議論する場なのでこういうまとめ方になるのは仕方ないとは思う。テレビ画面でYouTubeの偏った動画ばかり見ていたら陰謀論にハマるでしょ、と言わねばならないのだから。

だがバランス派とパーソナライズ派は同じ人間の中に混在する。せめぎあっている。ネット以前はテレビ上でコンテンツがパーソナライズされることはなく、送り出す側が、バランスとれてるでしょと並べたものを見るしかなかった。でも今はパーソナライズしてくれる。だからせめぎあうことになった。

バランスはありがたいのか?パーソナライズは心地よいのか?

バランスがとれているのはいい、はずだ。だがそもそも、送り出す側がバランスとれてるつもりで並べた際に、受け手からするとバランスが悪いことが多い。マスメディアはだいたいそうだ。テレビでは一日中同じことを見せる。「伊東市長が経歴詐称?」「鶴保議員が大失言した」「毎日暑い暑い」そんな話を本当に朝から晩まで放送する。もしCTV上でサムネイルが並ぶとしたら、伊東市長の顔や暑い日差しの画像がずらりと並ぶのだろう。

メディアは見てもらえそうなネタを並べるのでアテンションエコノミーが働き、ちっともバランスよくないのだ。ネットはアテンションエコノミーに陥りがちだとテレビや新聞の人はよく言うが、お前らこそそうだろう、と思ってしまう。

もしそこを乗り越えてバランスよくコンテンツを並べられたとしたら、今度は別の不満が出てくる。おれはどれもこれも見たいと思わないよ!と思ってしまう。新聞なんか、見出しがずらずら並んでいるが自分が読みたい記事はほとんどない。自分が見たいものしか見ないから、自分が見たいものだけ並べて欲しいのだ。

だからパーソナライズ派が勝利しそうなものだが、そう簡単ではない。毎日ニュースアプリを眺めていると、パーソナライズされてるはずなのに、ちっとも見たいものが見つからず苛立つ。

ニュースアプリでは仕事上、テレビ関連の記事を開く。そうすると、こいつはテレビ関連の記事が読みたいやつなんだなとパーソナライズされるらしく、テレビ関連の記事のサムネイルだらけになる。つまりはコタツ記事で私のニュースアプリが埋め尽くされる。ちょっと待ってくれ!確かにおれはテレビ関連の記事を開く確率は他の分野の記事より高いだろう。だがそれ以外読まないわけじゃないんだ。テレビ関連だからって、コタツ記事は読まないんだよ。だがいまのパーソナライズの技術はそこ止まり。たいしてパーソナライズできてないならパーソナライズするなよ!

かくして、ネットをうろついているとパーソナライズはやめてくれ!バランスよくコンテンツを見せてくれ!と思ってしまう。

だから同じ人物がバランス派でもパーソナライズ派でもあるのだ。この矛盾にいつか決着はつくのだろうか?私は永遠につかないと思うなあ。

放送とは実はニュースであり、娯楽はその次

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