映画「揺さぶられる正義」が揺さぶる、マスコミの報道ルール

公開中のドキュメンタリー映画についての記事です。
境 治 2025.09.29
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上映館・ポレポレ東中野に貼られたポスター

上映館・ポレポレ東中野に貼られたポスター

揺さぶられ症候群を一人称で追った、法廷ものドラマのようなドキュメンタリー

映画「揺さぶられる正義」は、関西テレビ製作で同局の上田大輔記者が監督を務めたドキュメンタリー映画だ。監督というとカメラの手前にいて顔は見えないのが普通だが、上田監督はカメラに写りまくっている。明確に主人公は上田記者で、彼が「揺さぶられ症候群」という取材対象と出会い、揺さぶられる姿を描いている。

私は作り手が「出ちゃう」ドキュメンタリーが好きで、ドキュメンタリーは作り手込みで作られるのが面白いと考えている。その意味で、完全に一人称、自分が取材する姿を自分で追うドキュメンタリーである点がまずこの映画の面白さだ。

上田記者は弁護士になろうと苦労して司法試験に合格したが、刑事司法に関わることに悩み、2009年に関西テレビの企業弁護士になる。だがやはり、刑事事件を追いたいとの思いに駆られて2016年に報道局への異動を願い出て記者となった。30代後半で記者になり、弁護士の知識を生かして取材すべく出会ったのが揺さぶられ症候群(Shaken Baby Syndorome)だった。

赤ちゃんの死亡時に3つの徴候(硬膜下血腫・脳浮腫・眼底出血)があった場合、激しい揺さぶりがあったと医学的に認められる。それは虐待の証拠となり、2010年代に何人も逮捕者が出て有罪判決が下った。だが3徴候=虐待と断じることに異論を唱える動きが出ていた。

このまさに法務的な事案に弁護士出身の記者が出会い追いかけ始める。そこでこの映画は、ドキュメンタリーなのに法廷ものドラマの形を帯びる。これが面白く、ともすると真面目くさい主張だけに陥りがちな報道ドキュメンタリーがエンターテインメントとしての面白さを持つことになる。出てくる4つの裁判が果たしてどうなるか。その判決を追っていく、ハラハラした展開がこの映画の魅力だ。

マスコミの正義も揺さぶられ、取材者自身に突きつけられる

メディアの行方を追う私として、いちばん興味深かったのが、揺さぶられることの一つがマスコミの報道の在り方だったことだ。

4つの裁判はどれも「冤罪」だった。だがどの事件でも、赤ちゃんの親族が虐待した「犯人」として当初は扱われた。テレビのニュースでも、実名入りで逮捕報道が行われる。それは「ルール」だからだ。警察が容疑者として逮捕した人物は、実名で顔も出して報道することになっている。どのテレビ局でも、新聞社でも基本的にはこのルールで報道している。

逮捕されたことを実名で報道されたら、容疑者本人だけでなくその家族がどんな目に遭うか。社会的生命を奪われるような猛烈な非難を受けるだろう。しかも赤ちゃんを親族が虐待していたと報じられたら非人間扱いされてしまう。

それらが冤罪だったとわかった時、私たちはどうすればいいのだろう。疑われた人たちに、何度謝っても足りない。この映画は逮捕報道を続けてきたマスコミと、それを無批判に受け止めてきた私たちに疑問を突きつける。逮捕された人を、悪人として扱っていいのか?

疑われた人の声が上田記者にぶつけられる。「この映像、必要ですか?声だけでもよかったのでは?」逮捕を報じたのは別の記者だが、上田記者は言葉もない。真面目な彼は、当初は犯人扱いしたことを深々と謝罪する。

私は前々から感じていたのだが、逮捕=実名報道でいいのだろうか?お昼のニュースでは続々と全国の逮捕者が報道される。いずれも実名で、逮捕場面を映像で流す。ほとんどは確たる証拠が上がり、本人も認める事件だ。

だが中には、「容疑者の認否を警察は明らかにしていない」と報じる例もある。「否認している」ということもある。本人が認めていないし証拠も確たるものと言えない事件で実名で映像とともに報じていいのだろうか。

さらにその後不起訴となったり、無罪になったら、警察や検察と共に報道の責任は問われなくていいのか。この映画を見ると、シンプルにそう思う。

お昼のニュースで逮捕報道が続々出るのは、記者クラブに詰める警察担当記者に情報が流れてくるからだ。大急ぎで現場に向かい、逮捕シーンをカメラでとらえる。警察情報をもとに、何をした人物か、実名で報じる。そういうふうにやってきたからだ。社会的使命がある、ことになっている。一方で「トク落ち」を絶対に避けたいからでもある。そっちの方が強いのではないか。

そんなマスコミ同士の競争原理で極悪非道な犯人も、よくよく見ると冤罪かもしれない人も、一緒くたに報道される。

だが私たちは30年前の松本サリン事件から、つい最近の大川原化工機事件まで、冤罪を見てきた。警察とマスコミと一緒に犯人扱いしたことを恥じた。

それなのに相変わらず逮捕報道を「そういうものだから」と続けていいのか。この映画がもっとも問うのはこの点ではないだろうか。「揺さぶられる正義」が揺さぶるのはマスコミの正義だと私は受け止めた。

根本的には司法のルールが揺さぶられている

私が鑑賞した回はトークイベント付きで、ゲストは映画監督の周防正行氏だった。どうして周防監督が?という疑問は、イベントが始まるとすぐ解消した。

「私がこの映画を撮れたのは、2007年に『それでもボクはやってない』を見たおかげでした」と上田監督が言ったのだ。

左が周防正行氏、右が上田監督

左が周防正行氏、右が上田監督

なるほど!周防正行監督作品である同映画はまさに冤罪をテーマにしたものだった。

上田監督が司法試験に合格した2007年、この映画に出会い、刑事司法の難しさに悩んでいた彼に、その道に入り込まない決心をさせた。だが同時に彼は、企業弁護士から報道記者に転じて冤罪事件を追うのだから、「それでもボクはやってない」がないと二重の意味で「揺さぶられる正義」は誕生しなかったのかもしれない。映画が別の映画を生んだ、素晴らしい事例だ。

周防監督は映画を作った後も、司法の問題点について啓蒙活動を続けているそうだ。その話を聞いて、司法の問題点は深刻であり、先述のマスコミの問題とも当然深く結びついていると感じた。

逮捕と聞くと即悪人と信じ込み、それが報道されると悪人の名前と顔を知った気持ちになる。だがそれは、司法とマスコミが何十年も作り上げてきた常識に私たちがまんまと無批判に乗っかってきたということだ。

いざ自分が逮捕され、自分が無実であるときに初めて、そうした常識がどれだけ残酷なものかを思い知ることになる。

映画の中で露呈したのは、有罪判決がいかにその時点での裁判官の認識に左右されるかだ。検察側に立って証言する専門家がいれば、有罪になる。だがそれに対し弁護側に立って証言する専門家が登場し、そこに説得力があると裁判官が判断すれば逆転無罪になる。法廷もののハリウッド映画でフィクションとして見てきたそんなドラマチックな展開が、赤ちゃんの死亡という身近な出来事で、私たちと変わらない市民の裁判でも起こっていた。

専門家次第、裁判官次第なのか。だが逆転無罪の判決は、裁判官にとって相当重いだろう。揺さぶられ症候群の一連の裁判でも一つの逆転無罪が流れを変え、次々に逆転判決が続いた。起訴されたら98.8%有罪と言われる日本の司法で、これほど逆転無罪が続くとは。

トークショーで明かされたのだが、この流れを作った裁判官が「揺さぶられる正義」を私と同じ回で鑑賞していて感激だった。周防監督に促され、少しだけマイクを持って話してくれたのも嬉しかった。彼はある裁判で無罪を言い渡した後「あなたが〇〇ちゃんに暴行を加えたというのは間違い」と大きな声で告げたという。「お辛い思いをされたと思います」と、謝罪に近い言葉を投げかけた。人として裁判を行う裁判官なのだろう。

この映画は、日本の司法を考える題材として価値があるが、法廷劇のように面白いエンターテインメント性にも溢れている。誰が見ても楽しめると思うので、ぜひ見てもらいたい。

パンフレットから滲むドキュメンタリーづくりの難しさ、面白さ

私は毎週映画を見るのでパンフレットを買うとキリがないのだが、この映画は買ってしまった。そして、買ってよかったと思った。パンフレットも含めて「揺さぶられる映画」という一つのコンテンツだと言っていい。

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