映像業界が「やりがい搾取」から脱却する時が来ている
アニメーション制作のやりがい搾取を国連がレポート
「やりがい搾取」はある意味、日本のあらゆる業界に蔓延している。この国はすぐに仕事に「職人気質」を持ち込んで、無駄に品質を極限まで高めて時間やエネルギーを注ぎ込み、お金を払う側が求めてもいない品質過剰な製品やサービスを完成させて自己満足に陥りがちだ。「それが俺たちの仕事じゃないか!」とか言って賃金やギャラを搾取されている。その最たる業界が映像制作業界だと思う。
映像を作りたい、という欲求を持つ人にとって、それを仕事にすることはこの上ない喜びだ。それがかなうなら収入が低くても、長時間働かされても、我慢できる。クレジットに名前が載るとこんなに嬉しいことはない。最初は大きな喜びでも、そのうち気づくはずだ。特別な技術やノウハウがあるのにどうして他の人たちより安い給料で休みもなく働かされるのだろう。
気づいても逃れられない。あるいは、キャリアを捨てて実家にでも帰るしかない。やりたいことを仕事にするって、なんでこんなに過酷なんだ?自分が関わった作品はこんなに多くの人が楽しんでくれ、放送局や映画館に利益をもたらしているのに。
日経ビジネスのこの記事は読んだだろうか。(10月16日AM10:00まで無料で全文読める)
国連の国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会が5月28日に公開した報告書の中で、旧ジャニーズ事務所の性加害事件とともに問題とされたのが、アニメーション業界の「労働搾取」だったという内容だ。
製作委員会方式とは関係なく「安い」ことこそ問題だ
「日本のアニメが人権を侵害して作られた作品であると見なされれば、米ネットフリックスや米アマゾン・ドット・コムなど動画配信サービスを展開する海外企業や人権意識が高い海外消費者などによる不買運動につながる可能性もある。」と書かれている。実際にそんな運動が起こる可能性はあまり高くない気もするが、そういうリスクを日本のアニメーション産業が抱えているのは間違いではないだろう。
国連のレポートではアニメ製作における製作委員会方式が槍玉に上がったと記事にある。関係する事業者が製作委員会を組成することでリスクを軽減するのは良い面だが、制作会社に出資の原資がなく委員会に参加できないと利益が還元されないのが悪い面だと指摘しているという。
この指摘は間違いとは言わないが、何かと製作委員会に問題があると言いたがる日本の業界論調の影響を受けた内容ではないかと私は勘繰ってしまう。本質的には製作委員会の問題でさえないからだ。
30分枠のアニメ制作費は2000〜3000万円かかり、1クールで数億円もの予算がかかるのを製作委員会により軽減するのだとあるが、そもそもその制作費の水準が間違っているから現場が疲弊しているのだ。平均を4000〜5000万円にすれば「労働搾取」はなくなる。実は製作委員会とは関係ないのだ。
ビルの建設費が2〜3億円では現場が疲弊するのなら、ジョイントベンチャーで建てようが単独で建てようが、建設費が足りていないと言うことだ。建設費の水準を上げるしかないだろう。そうしないと工務店が潰れたり、建設業界に人材が来なくなる。
アニメの標準的な制作費を上げない限り問題は解決しないし、業界ごと消えてなくなりかねない。そういう局面にあることを、業界全体で認識しないと、世界で不買運動が起こる前に日本でアニメが作れなくなるのだ。もはや待ったなしではないか。
コンテンツよりメディア価値を重視してきたツケ
このことは9月に「夢のような世界を泥のような現場が支えている〜映画戦略企画委員会への期待〜」と題した記事でも書いた。
この時も書いたように、アニメ制作だけでなく、日本の映像制作業界全般の深刻な問題なのだ。実写のドラマや映画でも、情報番組でも、おそらく報道番組でも、現場にお金を回さないでやってきてしまった。もはや限界が近い。
その原因は2つあると私は見ている。
まず日本は放送業界がコンテンツ産業の中心として成長してきてしまった。その時、メディアを売るためにコンテンツはそのおまけで安売りしてきた。だからテレビ局の給料は全産業水準と比べてかなり高いのに、番組やアニメの制作会社は全産業よりずいぶん低い給料になってしまった。本来はコンテンツに価値があるからメディアの価値も生まれるはずなのだが、メディアの売買がコンテンツ産業の中心になってしまった。
だから制作費は、「番組を作るのに必要なお金の積み上げ」では見積もられず、この枠ならこの制作費、という決め方になってしまった。土地から建設費を決めるようなもので、どんなビルにするのかで決まるはずの建設費の決め方ができなかった。さらに資材費や人件費が上がっても土地代(メディア料)が下がるもので建設費(制作費)を上げられないままこの20年間過ごしてしまった。
では、そもそもどんなビルも建てられない。どんな番組だってこの制作費じゃ無理、になりつつある。もうひとつは、そのメディアも安売りしてきてしまった。なぜならばスポットセールスを重視してきたからだ。どんな番組かは関係なく、「時価」でスポットセールスが決まるので、結果的にはテレビ局の放送収入の半分を占めるスポットセールスの価格が下がると、番組制作費をかけられなくなっている。
メディア中心のコンテンツ産業の在り方も、スポットセールス重視の放送収入の在り方も、20年ほど前に見直すべきだったのだが、こういう業界構造全体に関わる見直しができなかったため、にっちもさっちもいかなくなってしまった。いずれ身動き取れなくなるのはみんなしてわかっていたのに、手をつけてこなかった。そのため、こんなにおかしなことになってしまった。
解決策は、放送局がコンテンツ産業のイニシアチブを諦めることにある。その具体は、いずれまた書こうと思う。ただとにかく、国連の指摘は大きなターニングポイントになるだろう。外圧によってしか変わらない国が、外圧を受けている。おそらくこれから数年間で雪崩を打つような変化が起こる。いろんなことは同時に起こる。さまざまなタイミングが今、一致しようとしている。
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